別子銅山は、江戸時代・元禄4年の開坑に始まり、昭和48年の閉山に至るまでの283年間の歴史を有し、また、四国山地の海抜1300mの旧別子の山中から瀬戸内海の四阪島まで新居浜市を縦断する距離約40kmという広大な範囲に及びます。
地中深く掘り進められた坑道の延長は東京-岡山間と同じ約700km、深さは地下1000mまで掘り続けられました。総産出量は約65万トン、世界有数の産出量を誇った時期もあった日本三大銅山の一つです。
(新居浜市観光サイト 別子銅山近代化産業遺産より)
この別子銅山は一貫して住友によって経営が行われ、現在も新居浜市は住友関連企業に支えられる企業城下町です。2日に業務を開始したスミリンウッドピースは住友林業(東京)の子会社ですが、今回は同社が新居浜市立川町(マイントピア別子周辺)にある社有林内にシイタケ栽培場を整備するなど、障がい者を雇用していくそうです。
2015年には、住友林業からニュースリリースも出ており「障がいのある方により多くの働く機会を提供することを目指して、原木椎茸栽培や木工製品の製作・加工等を行うスミリンウッドピース株式会社を設立」とありました。
事業の内容としては原木椎茸の栽培・販売、木工製品の製作・加工、印刷事業を行い、当面は販売先をグループ内関係会社に限りますが、事業安定後は外部企業等への販路の拡大も目指しています。
今回は平屋の新社屋も報道されていましたが、それを見て山田社宅を思い出しました。「日本で最後の社宅群」と呼ばれる山田社宅。昭和初期に建設された住友の社宅ですが、今は廃墟のようになってしまっています。文化財としての活用も検討されていますが、方向性は見つけられないようです。それでも山田社宅はまだその多くが現存し、一角にある外国人用の西洋社宅も含めて独特の街並みを形成しています。
一方で、写真奥の別子銅山新居浜選鉱場の奥には住友病院や小学校、イオンといった施設があり、現在でも非常に利便性の良い立地条件です。(新居浜市・産業遺産のホームページ参照)スミリンウッドピースから話がそれてしまいましたが、山田社宅は建物の損傷も進み、保存をするにはラストチャンス。ここも住友と手を取り合い、上手く共存できる道を探って欲しいものです。
冒頭の写真は、山田社宅の南にある星越峠から見た新居浜市。漠然と、新居浜で遺すべき場所はどこだろうと考えていましたが、今年になってようやく山田社宅に足を運ぶことができました。実際に今ある社宅をそのまますべて保存したり、活用したりすることはどのように利用するのかというニーズの問題もあり、難しいのではないかと思います。
それでも部分的に観光拠点や地域の拠点、移住の拠点として保存しながら活用することはできるのではないかと思います。が、それでも全体の街区は残しながら、例えば部分的に社宅を再建築するなど資金がうまく回る方法も交えて、現実的な対策が必要なのではないでしょうか。
今は戸建て借家の建築がブームになっていますが、それは良質な賃貸住宅が少ないということ。特に地方で、しかもファミリー向けとなるとその傾向は顕著です。家賃補助を行う企業もあり、少しくらい家賃が高くてもアパートより戸建てに住みたい、というニーズは多いようです。このあたりの話はタイトルと全くかけ離れた話になってしまいますので、また別の記事で。